2016年5月27日の広島にオバマ大統領が訪問します。
広島でスピーチをするようなのですが、テレビ放映があるのか、
一体どんなスピーチがあるのか、
謝罪はするのか、
そういったところが気になったので調査してきました!
2016年5月27日は、米国の大統領が初めて被爆地である広島を訪問するという歴史的日になります。
おそらく、20年後このことは教科書に載る本当の歴史になる出来事だと個人的には思っています。
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テレビ放映はある?
まずは、スケジュールを確認しましょう。
旧広島市民球場
→平和記念公園
→原爆死没者碑に献花
→演説台で、スピーチ。
安倍首相と岸田外務大臣、湯崎広島県知事、松井一實広島市長が記念公園で待ち受けます。
旧市民球場から前のルートについては、過去記事参照ください↓
『オバマ広島訪問の移動手段や時間とルート!交通規制や渋滞は?』
スピーチについては、
アメリカのテレビ局、ABC、CBS、NBCが放送予定です。
そして、CNN、BBCなどでも放送するそう。
さらに、ヨーロッパでは、ライブ中継がされるようです。
ここまで見るとかなり海外からは注目されていることが分かりますね。
そうなると、日本で生中継するかが気になるところです。
調べてみたところ、
なんとNHKで
16:50〜18:52 に オバマ大統領広島訪問 を放送するそう。
ということは、オバマ大統領は17:00〜19:00の間に広島にいらっしゃるようですね。
その後の予定については明かされてませんので、
広島で一泊されるのか、また別のところに一泊されるのか気になるところですね。
最後に個人的に非常に気になることがあるんですが、
原爆資料館の中には入らないの?
正直な話すると、もし時間が許すのなら是非原爆資料館の中に入って欲しい。
もちろん広島を訪問することで、核廃絶を訴えては欲しいです。
でも、あの資料を見ると、演説には非常に熱がこもるし、
核廃絶への思いは非常に強いものになると思います。
あの資料をみて心を動かされない人間はこの世にいないと私は思いますし、
是非世界の人々にきちんと見てほしい資料だと思っています。
スピーチの内容?謝罪はある?
まだスピーチが行われてないので、
内容についてはまだわかりませんが、
スピーチされ次第ご紹介していきます。
気になるのは、やはり謝罪があるかどうかだと思います。
結論からいうと、謝罪はありません。
ホワイトハウスが正式に言ってますし、
米国では、原爆は戦争を終結させるために必要だったという考えが根強いですしね。
そんなときいつも思うんですけど、
米国の人みんな広島に、原爆資料館に来てくれたらいいのに。
そんな戯言本気で言ってんの?ってことに気づくはずです。
だから、今回のオバマさんが広島に来られるということは、
世界的に見ても、歴史的にみても大きなことではあるんですが、
オバマ大統領には是非、原爆資料館を訪問してほしい。
すみません、変な方向に脱線してしまいましたが、
スピーチの内容については、
分かり次第ご紹介していきますね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
追記情報
スピーチが行われました。
"We are not bound … to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose." —@POTUS speaks at Hiroshima. https://t.co/qLPoNEqlF9
— The White House (@WhiteHouse) May 27, 2016
全文掲載いたします↓
71年前、とてもよく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。これは、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたということを意味します。
なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか。私たちは、恐ろしい力が、それほど遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるため、ここにやって来ました。また死者を悼み、戦争を悼み、10万人を超える日本国民の方々と、そして何千人もの朝鮮の人々、アメリカ人の捕虜も命を落としました。
その魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちが一体何者なのかを振り返るように。そして、どのように今なろうとしているのか語りかけています。
戦争において、広島だけが特別なのではありません。暴力的な紛争は古くから行われています。石や槍などが扱われました。これはただ狩りをするためだけではなく、人類を殺すためも使われてきました。どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
富をもとめ、また民族主義や宗教的な理由からも悲惨な戦争が起こってきました。帝国が台頭し、また衰退しました。人々が奴隷になり、また解放の道もたどってきました。それぞれの歴史の転換点において、罪のない多くの人たちが犠牲になりました。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。それが人類の歴史であります。
第二次世界大戦は、広島と長崎で、とても残虐な終わりを迎えました。これまで人類の文明は、素晴らしい芸術を生み出してきました。そして偉大な思想や、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。しかし、同じところから戦争も出てきました。征服をしたいという思いも出てきました。古いパターンが、新しい能力によってさらに増幅されました。そこには制約が働きませんでした。
ほんの数年の間に6000万もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供達。私たちと全く変わらない人たちです。撃たれ、殴られ、あるいは行進させられ、飢えさせられ、拘束され、またはガス室に送られて亡くなりました。
世界中には、この戦争の歴史を刻む場所が沢山あります。慰霊碑が、英雄的な行いなども含めて、色々なことを示しています。空っぽな収容所などが、そういうことを物語っています。
しかし、空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾を強く突きつけられます。私たちの考え、想像、言語、道具の製作、私たちが自然とは違うということを示す能力、そういったものが大きな破壊の力を生み出しました。
いかにして物質的な進歩が、こういったことから目をくらませるのでしょうか。どれだけ容易く私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたでしょうか。
私たちの偉大な宗教は、愛や慈しみを説いています。しかし、それが決して人を殺す理由になってはいけません。国が台頭し、色々な犠牲が生まれます。様々な偉業が行われましたが、そういったことが人類を抑圧する理由に使われてきました。
科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。
現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。
私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちたちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。
言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。
いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。
あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。
アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。
国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。
制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。
私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、核戦争の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。
引用元:http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html
本当に素晴らしいスピーチだと思います。
プラハで行われたスピーチに近い内容ですが、
広島で行ったことに意味があります。
ただ、大統領の任期が2017年1月というのが少し残念です。
あと、今回原爆資料館の見学は7分程度で、スピーチが17分程度だったようです。
見学が7分というのが本当に残念でなりません。
確かに過密スケジュールなのかもしれませんが、
時間の割り振り方からみて、今回の広島の訪問の目的は、このスピーチだったんでしょう。
仮にそうだったとしても、米国大統領が広島を訪れたということは、
本当に2016年5月27日という日は歴史的な1日となったと思います。
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